叱られて学ぶ

怒ると叱るって似てるけど違うことなんですよね。

 

自分本位が怒る

 

相手本位が叱る

 

ってことだと思うんです。

要するに相手のために注意をするのが叱るってことなんです。

 

僕はたまに意味が混在してしまうのですが、

基本的に怒られたくはありません。

そして、叱られたくもありませんでした。

 

自分の非を認めることになるからです。

自分が間違っていたことってなかなか認めづらいんです。

反射的にムカっとしたり、イラついてしまうこともあります。

 

でも、今となっては叱ってくれることはありがたいことだと思えるようになりました。

長い目で見れば、自分の成長に繋がることであり、

後から冷静になってみると、

叱られたときは圧倒的に自分が悪かったと思うことしかありません。

そして、

頭では理解していても、

実体験として経験をしないと真の意味で理解が深まらないというのが少し皮肉なところです。

 

そして、基本的には経験は年齢に応じて重ねていくものっていうのも皮肉なことです。

 

結局は大人が言っていることが正しいってなってしまいます。

もちろん例外はあります。

 

でも、親子関係においてさえ

子供の言うことは親に響き難いという現状があります。

親からすれば、

「子供でまだ何も経験してもいないくせに、何を言っているんだ」

というような本心がでてくることが多いかと思います。

 

つまり、子供には説得力が欠けてしまうものなんです。

経験がなく、コドモですから。

 

となると、行動で示すしかないですよね。

 

とりあえずは自立して、親が経験していなくて、

自分が絶対に勝てる土俵の上で勝負しなければいけません。

 

それまでは

子供=保護される側

なんです。

 

今の僕も子供です。

そしてこの考えは個人的なものです。

 

でも、この場所が心地よくも辛くも感じる時があります。

 

1つだけわかるのは、

今後この場所に居続けることは絶対にできないし、

居続けられたとしても、自分には全くプラスになっていないということです。

 

今日はそんなことを思う1日でした。

 

僕は明日から自動車教習所で叱られてこようと思います!