決断

先日はやるべきか否かという悩みを書きました。

 

そして今日、どうするか決めました。

 

県外には行かないことにしました。

 

不思議だったことがあります。

 

決断する前は、悔しさややり場のない怒りがこみ上げてくると思ったんです。

 

でも違いました。

 

最初に来た感情は『安堵』だったんです。

安心したんです。

自分のコロナ感染のリスク、感染させるリスクが減ったことに。

 

そしてその決断は絶対に後悔しないだろうと確信しました。

 

 

不安には2種類あるそうです。

「はっきりとした不安」と「ぼんやりとした不安」

 

はっきりの方は人類が昔から持っている不安です。

例えるなら「今日の食事を手に入れられるかどうか」ということで、目の前の獲物をかることができるか否か。

 

ぼんやりとした不安はいわゆる将来への不安です。

この類の不安は文明が発展していくにつれて『現代病』として現れはじめました。

このような不安はうつ病にもつながるとされていますが、今回の僕の不安はまさにこれです。

 

正直、一週間ほど前から移動の際に関わる各県や各市町村のホームページを毎日確認し、ずっと不安の状態でした。

普段は食べない量のお菓子をバク食いしたりしていたし、体にも良くない生活を送っていたと思います。

 

でも、行かないと決めたら、楽になったんです。不安が抜けていったんです。

 

将来への不安というものは厄介です。

医療技術が進歩したおかげで人の寿命は伸びました。

昔は考えられなかった『未来』について考えるようになったんです。

もちろん、未来の概念は多くのプレゼントも与えてくれました。

将来の夢、豊かな老後、明るい未来。

 

でも、同時に不安も置いていきました。

就職先、年金、事故、病気。

 

僕は昔の人達は『死』についてどう考えていたんだろうと思います#病んではないよ(笑)

 

お金を得ることも、事故や病気に備えることも、その先には「終わり」が見えているから行う行為だと思うんです。

 

では、昔はどうだったのでしょうか?

 

そして、僕らはぼんやりとした不安にどう対処していくべきなんでしょうか。

 

今日はそんなことを考える一日でした。